迷走ブログ

ファウスト的衝動を抱き、迷走している、凡人による気まぐれブログです。

『パスタでたどるイタリア史』の感想。

はじめに

 

この本とは、某古本屋で出会いました。

 

僕はパスタが好きで、「パスタでたどる」という表題にひかれました(笑)。

 

評価

よい。

 

この本の目的・主張

日本でも身近になったパスタがその故郷イタリアでどのように生まれ、育まれていったのかを、2000年以上におよぶイタリアの歴史をたどりながら見ていくこと。

 

パスタというじつに卑近な食べ物が、雄大で複雑な歴史の遺産だということ。

 

感想

かつて日本でパスタが一般家庭の食卓に上った時、「スパゲッティ」や「マカロニ」として、洋食の添え物という形で広まったそうです。

 

知りませんでした(笑)。てっきり主食として、取り入れられたのかと思っていました。しかし、添え物という形でしか扱われていなかったそうです。

 

現在のコンビニで売られている弁当にも添え物としてパスタもどきが入っていることがありますよね。ちょこんとだけ(笑)。何で入っているのだろうか、と思っていました。

 

しかし、もともとのパスタの扱いが添え物としての目的を持っていたのですから、弁当の添え物として入れるという発想に至るのも至極当然の帰結だったのかと思うと、おもしろいです。

 

コンビニ業界の方々もそのような日本人の食のニーズを把握していたのですね。仕事だから当然なのでしょうが……弁当一つにもよく考えられているなと感心しました(笑)。マーケティング戦略がすごいですね。

 

そして、1970年代から外食チェーンが、「ファミレス」として広がると同時に、スパゲッティ専門店も登場したそうです。その時、味付けやパスタの種類が多様化したそうです。

 

それまでは、ナポリタン、ミートソース、カルボナーラだけしかなかったというのですから、驚きました(笑)。

 

そして、1980年ごろから1990年代に「イタめし」ブームが吹き荒れ、イタリアンは最盛期を迎えたそうです。バブルなどの時代背景も何かそのような「イタめし」ブームと関係しているのでしょうか。だって、なんでコース料理を中心とするフランス料理やスペイン料理などではなかったのでしょうか。

 

つまり、なぜパスタが新たな国民食となりえたのか、ということです。

 

筆者曰く、

その背景には、わが国が長い伝統を誇る麺文化があるのだと思います[池上、2011:p9]。

 

日本に麺文化が取り入れられたのは、鎌倉時代にもさかのぼるそうです。中国から麺類である「そうめん」が伝えられたことに端を発したとのこと。

 

鎌倉時代というと、1200年ごろです。丁度、日宋貿易*1を行っている頃ですね。たしか、香料や医薬品などを輸入していたはずです。その中に、そうめんのもとになるものや調理方法も伝えられたのでしょう。

 

とにかく、鎌倉時代くらいから日本文化にも麺文化があったのだと。そして、そのような食文化と親和性が高いことから、食生活が西洋化した現代においてもパスタが受け入れられたと。

 

このように、日本にパスタが受け入れられ、発展した背景には、歴史や社会の変化が密接に関係していることがおもしろいですね。

 

 

以下は、各章の感想です。

 

第1章 麺が水と出会うまで

この章では、ローマ時代から中世末までを扱っています。

どのようにして小麦がパスタに使用され始めたのかを解説しています。

 

パスタには様々な種類のものがあります。そこで、パスタの定義として、筆者は以下のように述べています。

「穀物の粉を水で捏ねて成形し、それを茹でたり蒸してから食べる弾力のある粘着性の食材」と定義することにしましょう[池上、2011:p18]。

 

パスタをアカデミックに定義すると上記のようになるそうです(笑)。 

へー、という感じですね(笑)。

 

 

そのような食物が誕生したのは、いつ、どこのことだったのか。

 

パスタの原料である小麦は、紀元前9000~7000年にメソポタミアで栽培されるようになり、西地中海へと広まったそうです(池上、2011:p19)。

 

しかし、中世になると、ゲルマン人の侵攻、東ローマ帝国による動乱などによって、5世紀から7世紀にかけてイタリアの都市や農村が荒廃したそうです(池上、2011:p25)。

 

つまり、労働力不足や土地の荒廃によって、農業どころではなくなったと(笑)。そりゃあ、動乱の最中に、農民は大変そうですよね(笑)。仕事はできない、命の保証はないのですから。その結果、農業生産が減少したことも想像できます。

 

また、ゲルマン人は、肉を主食としたため、パスタのような調理は忘れられたそうです(池上、2011:p28)。

 

その後、10世紀になるまで、農業が復興しなかったそうです。その時、各地域の自然状況に合わせて農法が工夫され、また「三圃制農法」*2を用いて穀物を栽培しはじめたそうです(池上、2011:p31)。

 

その後、12世紀ルネサンスと呼ばれる文化運動が起きたことで、パスタが復活したそうです(池上、2011:p32)。興味深いことは、芸術や文学が復興したことは、知っていました。しかし、食文化もそこに含まれていたとは知りませんでした。

 

その時、パスタの調理は、ローマ時代のような揚げたり焼いたりするのではなく、ミルクか鶏のスープで煮たものになったことで、「水との結合」が当たり前になり、イタリア料理におけるパスタは発展したそうです(池上、2011:p33)。

 

へー、という感じです(笑)。科学的な知識も蓄えられて、パスタの料理法にも影響したということでしょうか。

 

一方で、乾燥パスタもまた、イスラーム教徒から南イタリアへ伝えられとされ、中世に起源をもつとされているそうです。そのため、パスタは、家庭内での消費から、運搬・商業化に適した工業製品へと移行したそうです。また、南イタリアの乾燥した気候や海風が強く吹く気候にとマッチしていたそうです(池上、2011:p.p34ー37)。

 

したがって、北イタリアでは、生パスタが生産され、南イタリアでは乾燥パスタが生産されるという、状況だったそうです。面白いですね。地理的な環境要因が、食文化の形成に影響を与えるとは、考えもしませんでした(笑)。

 

 

第2章 文明交流とパスタソース

この章では、大航海時代、ルネサンス期から近代初頭までを扱っています。

 

大航海時代というと、ポルトガルやスペインが無双していた時代ですね(笑)。はたして、パスタにどのような影響があったのか、気になります。

 

南イタリアをスペインに支配されたそうです。その結果、新大陸からの新素材の流入に影響を与えたそうです。また、スペインの支配下にいたことで、南イタリアは都市の自治が抑制されていたそうです。その結果、イタリア統一後の南北問題の下地が作られたそうです(池上、2011:p.p.62ー64)。

 

 

 

新素材として挙げられているのは、唐辛子や砂糖です。また、トマトやカボチャもこの時に流入にされ始めたそうです(池上、2011:p.p.71ー72)。そして、トウモロコシやジャガイモもこの時に栽培され始めたそうです(池上、2011:p73)。

 

興味深いのは、ジャガイモがパスタに使用されていなかったことです。というか、ジャガイモの場合、家畜の餌として見なされており、人が口にするものではないと見なされていたそうです。その価値観が覆ったのは、18世紀の飢饉に陥った際に、公権力や有識者たちのプロパガンダによって、普及したそうです(池上、2011:p.p.74ー75)。

 

ジャガイモが食べられると認識されたのは、意外と最近だったんですね。

 

また、時が流れ、18世紀後半からの産業革命によって、蒸気や電力によって動くこね機や圧搾機が作られたことで、パスタが普及したそうです(池上、2011:p82)。

 

そして、トマトソースがつくられたそうです。面白いのは、地域ごとにソースが工夫されて作られたことです(池上、2011:p86)。その担い手が、エリート層というのはなるほどなと思いました。身分制がある社会で、農民が好きなものを食べられるわけないのですから(笑)。

 

 

 

第3章 貧者の夢とエリートの洗練

この章では、民衆とエリート層の食卓を通して、パスタ料理の成立をみています。

 

 

面白いのは、パスタの普及は民衆によるものだそうです。ただし、日常食として簡単に手に入るものではなかったそうです(池上、2011:p95)。特に、南イタリアと北イタリアとでは、差異があったそうです。

 

デカメロンに、パスタがたらふく食べられることが、楽園として描かれたいるそうです(池上、2011:p104)。パスタを主食として食べるようになったものの、やはり、貴重な小麦粉を消費できるような環境ではなかったのですね。

 

そして、ルネサンス期に宮廷文化を担ったエリート層によって、雇わられた料理人によって、パスタ料理が工夫されたそうです(池上、2011:p107)。その結果、宮廷料理にパスタが使用され始め、イタリア風の料理が確立されていったそうです(池上、2011:p.p.110ー120)。

 

 

第4章 地方の名物パスタと国家形成

この章では、イタリアの統一の時代を扱っています。

 

地方ごとに、パスタが工夫されていたそうです。例えば、その風土に合った形で消費されたり、祭礼や行事と結びつくことで、パスタは特別な料理として扱われていたそうです(池上、2011:p122)。

 

つまり、パスタは、個人的、家庭的な消費や地産地消の傾向が強かったと。

 

また、興味深いと思ったのは、同じパスタでも地域によって呼び名が異なることがあるそうです(池上、2011:p123)。

 

確かに、日本でもありますよね。同じものなのに名称がことなるもの。例えば.......思い浮かばないですけど(笑)。

 

そして、そのような地方料理としてのパスタと標準的なパスタの差別化というものが、国家の成立とともに出来上がったそうです(池上、2011:p137)。

 

確かに、群雄割拠した状態では、国民料理なんて定義されようがありませんよね(笑)。だって、何が標準的なパスタなのかということは、地方都市ごとに異なるわけですから。

 

また、国家の形成によって、合理化、標準化や統一化されたのは、パスタ料理以外にも言語や教育も含まれているそうです(池上、2011:p151)。ところが、逆説的に、標準化されることで、地方料理への憧憬や愛着も強化されたそうです(池上、2011:p154)。

 

第5章 母と子の想い

この章では、パスタが女性、特に母親というイメージと結びついた料理であることを述べています。

 

 

 

比較的最近までイタリア半島の南端部、カラブリア地方においては、同じ素材を使って、少なくとも一五種類のパスタを作れることが、結婚の前提条件とされていました[池上、2011:p160]。

 

同じ素材を使って一五種類も作るの!?

女性のみなさんはさぞ苦労されたでしょうに......

 

面白いのは、19世紀にブルジョワ階級と権力者によって、女性のイメージが作られたことです。家庭的であること愛情の象徴としてパスタを結びつけようとしたことが興味深いです。伝統というものは、作られていくものなのですね。

 

 

第6章 パスタの敵対者たち

この章では、伝統料理であるパスタによって、近代化・文明化をさまたげるという主張があったことを述べています。

 

 

パスタの敵対者として、アメリカ贔屓の傾向と未来主義とライフスタイルの変化が挙げられています。

 

アメリカ神話の影響によって、パスタが忌避されていたそうです。

 

また、未来主義という文化思想運動によって、パスタを栄養のないものであり、イタリアが凋落した原因の一つであると批判したそうです(笑)。

 

 

 

おわりに

 

パスタが奥深い食べ物であると感じました。

また、食を含む様々な文化が、国家によって作られていくことが興味深いと思いました。

 

 

 

参考文献

・世界大百科事典

・日本大百科全書

 

パスタでたどるイタリア史 (岩波ジュニア新書)

パスタでたどるイタリア史 (岩波ジュニア新書)

 

 

*1:10世紀後半~13世紀後半の間、日本と中国の北宋(ほくそう)・南宋(なんそう)との間で行われた貿易。中国人の海外発展は7~8世紀ごろよりアラビア商人の活発な通商活動に刺激されて、広州(こうしゅう)を中心とする南海方面を舞台に始まった。9世紀中葉からは、南海貿易で得た東南アジアの特産品を日本へももたらす唐(とう)の海商が現れた[日本大百科全書より引用]。

*2:ヨーロッパ中世で典型的に発達した農法で,穀物畑における3年単位の輪作を根幹とする。三圃農法とも呼ばれる。開放耕地制度と結びついて,農村社会の基礎を構成する制度となった。輪作方法としての三圃制は,耕地を三つの耕圃field(ドイツ語ではFeld,フランス語ではsole)に分割し,一つの耕圃では,第1年度に冬穀物,第2年度に夏穀物を栽培した後,第3年度を休閑するという順序を繰り返し,かつこの順序を耕圃ごとに,1年ずつずらせて,同一年度については,耕地を冬畑,夏畑,休閑地にほぼ均分することを内容とする。比較的広い土地があり,肥料の供給が少ない状況の下で,穀物を主たる作物とする農業を行うために,3分の1に及ぶ耕地をつねに休息させておくことが特徴である[世界大百科事典より引用]。