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【雑学・歴史】吸血鬼の歴史とは?――東欧の伝承まで遡る歴史――

はじめに

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突然ですが、吸血鬼といえば、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。

 

僕は、小説のブラム・ストーカー『吸血鬼ドラキュラ (創元推理文庫)』です。創元推理文庫から出ている本です。あの分厚い本ですね。

 

あとは、アニメや漫画の登場人物としてよく出てきますよね。例えば最近、アマゾンで視聴した「化物語」以外に、思い浮かばないですが……

>>「化物語」をアマゾンで視聴する

そして、「化物語」を視聴した時に、ふと思ったのです。

 

そう言えば、いつから、どこで吸血鬼伝説は流布したのだろうかと。そもそも、吸血鬼って何ぞ?と(笑)。

 

だから、簡単にサーヴェイした結果をまとめます(笑)。

と言っても、簡単に調べただけなので、原著まで目を通していません(言い訳:ロシア語やスラヴ語の基礎学力・語学力がないです……orz)。

 

 こんな人におすすめ 

  • 吸血鬼の歴史を知りたい人
  • 誰かに話したくなるような雑学を知りたい人
  • 東欧の歴史や文化に興味がある人

 

疑問の出発点ととりあえずの結論

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僕の疑問点は3つです。1.どこで、2.いつから流布したのか。そして3.吸血鬼の定義です。

 

結論から述べます。

 

Q1、どこから流布したのか?

⇒南スラブ(バルカン地方):セルビア、クロアチア、ブルガリア、ルーマニアなどを中心に、ロシアやウクライナにも少ないが吸血鬼伝説があるらしい。

 

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Q2、いつから流布したのか?

⇒もともと東欧・バルカンの土着的信仰であったが、17世紀から18世紀に西欧の有識者たちが吸血鬼を取り上げたことで、ヨーロッパに吸血鬼信仰が広まったそうです。

 

Q3、吸血鬼とは何?

⇒「生ける死体」であり、「死したのち墓処からふたたび肉体のままに現れて(亡霊でなく)、人々に、とりわけ近親者に害をなし、死に引き込む死者である」(平賀、2000年:p16,17)そうです。

また、栗原(1980:p27)によると、吸血鬼とは、「肉体をとって墓から帰還し、生きている人間の血を吸ってその生命力を奪う死者である。」

そして、吸血鬼の性質は、複合的な要素によるもの。

 

吸血鬼とは?東欧における「吸血鬼」

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はじめに、Q3から見ていきます。

 

例えば、セルビアにおける「吸血鬼」を指す名称は次のとおりだそうです。vukodlak,vampir,lampir,ten(j)ac

 

vukodlakは、vuk(狼)とdlaka(毛皮)から成る語だそうです。つまり、「人狼」を意味していたそうです[平賀、2000:p28]。

 

セルビアにおける吸血鬼になる人の特徴

・「吸血鬼」になるのは、ふつう人殺しなどの犯罪者や悪人

・そうでない人もある条件を満たせば「吸血鬼」になる恐れがある。例えば、遺骸の上を猫などの動物が超えたとき、墓穴が夜中開いたままになっていたとき

・イスラム教に改宗したキリスト教徒や魔女

・聖金曜日・復活祭・クリスマスから公現祭*1までの間・四旬節*2などの祭日に受胎した子[平賀、2000:p30]

 

なるほどー

そうなのかーという感じです(笑)。

 

とにかく、自分たちとは異なる異端者への畏怖というか恐怖があったということなのでしょう。

吸血鬼になる人の特徴まとめ

平賀(2000:p130)によると、東欧地域における吸血鬼の特徴をまとめると次の通りです。

・異端者:呪術師、魔女、人狼など。

・産死者:洗礼を受けずに死んだ子供、水子、死産児、産死した女性。

・罪人:犯罪者・不徳義漢。自殺者、変死横死した者。

・異常な様態を示す死者、および正しい葬儀の行われなかった死者。猫がその遺骸の上を飛び越えたときや頬が赤い、硬直しないなど。

 

興味深いところは、最後の項目です。

死者が生前いくら善行を積んでいようが、どんなに立派な人だったとしても、「吸血鬼」にされてしまうことがあったそうです。

 

居た堪れない……。

理不尽すぎる……。

 

それこそ、こちらの厚意で相手に接していたら、相手から「私、好きな人がいるからと……」なぜか勘違いされて、そして、なぜか僕が振られたことになった、あの時の理不尽さを思い出しました。

 

吸血鬼の行動

吸血鬼伝説は、死後に帰って来て、妻と共寝し、子供を作る話が多いそうです[平賀、2000:p131]。このように死者が生前と同じように夫婦生活を続けるために帰還するという民間信仰は、「神々の結婚」の神話に遡源するそうです[栗原、1980:p33]。

 

例えば、栗原はフレイザーの『初版 金枝篇』を引用しています。古代バビロニアの事例とエジプトのテーベの事例です。

 

『金枝篇』、だいぶ前に読んだから覚えていなかったです……orz

 

まあ、とにかく、吸血鬼は帰ってきて、子供を作ると。そして、バルカンにある民間信仰では、吸血鬼と生きている妻との間に子供が生まれると、その子供のみが吸血鬼を発見して、退治することができるそうです[栗原、1980:p36]。その子供は、歯がなく、骨のない奇形児だそうです。並行関係として、竜退治の神話があるそうです。竜の子のみが竜を退治する話です。

 

なるほど、同族殺しというか父親殺し?のモチーフがあると。

 

次に、一般的な吸血鬼の行動として挙げられるのは、吸血行為です。

 

しかし、「東欧の「吸血鬼」が血を吸うことは決して多くない」そうです[平賀、2000:p132]。平賀によると、「吸血」は「吸血鬼」の本質ではなく、血は体液の一つであり、夢魔や魔女が精気を奪うことと同義であり、「生気を奪う」ことの比喩表現だそうです。さらに、吸血するときも、首筋からという事例は少ないそうで、胸からが多いそうです[同:p133]。つまり、吸血はリアリズムではなくシンボリズムですね。

 

そして、吸血鬼は、他の怪異や妖怪と重なる行動をとるそうです。

 

例えば、夜に寝床に忍び込み、寝ているものを窒息死させること(=夢魔の行動)や家畜を殺すこと(=魔女の行動)や人狼や竜殺しの話との並行性など。

 

つまり、吸血鬼の性質は、複合的な要素によるものだと。

 

 どこから流布したのか

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Q1、についてまとめます。

 

栗原の研究によると、吸血鬼信仰の成立領域は、バルカンの東南スラブ領域だそうです。そして、吸血鬼信仰の基礎をなしているのは、病魔信仰と夢魔信仰であると述べています。また、吸血鬼は人間を窒息させてからその血を吸うことを特徴としています[栗原、1980:p255]。

 

詳しいことは、原著を確認してください(なげやり)。

 

僕としては、ロシアにおける吸血鬼信仰に興味があるので、そちらをまとめます。

 

夢魔信仰

 吸血夢魔モーラ

 夢魔は、バルカン・スラヴの間では、「モーラ」(mora)という名称でよばれているそうです。そして、モーラは、人間の窒息させて心臓から血を吸うとかんがえられているそうです[栗原、1980:p109]。

 

では、ロシアにおいてはどのように捉えられているでしょうか。

妖精キキーモラ

ロシアにおいては、「キキーモラ」(kikimora)という妖精があてはまるそうです。

 

kikiは語源的に不明だそうです。

kika(お下げ髪)やkikat`(キーキー言う、叫ぶ)という動詞に結び付く説があるようです[同上:p125]。

 

キキーモラは、洗礼を受けずに死んだ子供あるいは両親に呪われて死んだ霊だそうです[同上:p125]。

 

また、キキーモラは、家*3に住む妖精であり、小人の女の子と想像されており、暖炉の陰に住み、はだか、はだしでとびまわり、決して年を取らないとされているそうです。また、「マーラ」(mara)や「マルーハ」(maruxa)という類似した妖精も知られているそうです[同上:p126]。

 

つまり、ロシアにおいても吸血鬼に繋がる信仰があったということでしょう。

 

病魔信仰 

さくっと、ロシアにおける時代背景を確認

1492年という年は、ビザンツ暦によると、天地開闢の日から数えて7千年が満了し、キリスト再臨による新しい至福な1千年が始まる年だったそうです。ところが、ビザンツ帝国の滅亡(1453)をはじめとし、ロシア各地での疫病の流行、飢饉、異教徒の戦争*4、が重なり、世界の終末の兆候だと考えられていたそうです[栗原、1980:p144]。

 

つまり、世界崩壊への不安とキリスト再臨への期待が錯綜する終末観であったということでしょう。

 

ペストと吸血鬼

そのような終末観漂うなかで、ペストの流行が大きな影響を持っていたそうです。

 

ペストは、ごく短期間に多くの人が皮膚に出血斑を残して死にます。そして、大量のペスト感染者が迅速的に埋められたり、放置されるわけです。しかし、まだ完全に死んでいない人もいるわけで、屍の中から立ち上がり歩き回るわけです。ウォーキング・デッドをするわけですよ(笑)

 

つまり、「早すぎた埋葬」が原因だったのに、「死者の蘇生」と解釈されたというわけです[栗原、1980:p145]。結果的に、ペストの原因を吸血鬼のせいだと幻想していたわけです。

 

 また、興味深いのは、ペストはスラブ語で多くの場合、女性名詞だそうです。そして、ロシア語では、「チューマ」と呼ばれ、ペストを女性の疫病神として擬人化していたそうです[栗原、1980:p148]*5。同時に、ペストは、魔女と同一視されることもあったそうです。

 

このように、ペストも吸血鬼信仰に影響を与えていたようです。

 

いつ流布したのか

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Q2についてまとめます。

平賀の研究をまとめると、17世紀に知覚革命があり、上流の人々は悪臭に敏感になり、墓地が市外へと移転されたそうです。また、17世紀の中頃から遺言状に、仮死の状態で埋葬されるのではないかという心配が表明され始めたそうです。根拠として、ヴォルテールの史料を上げています[平賀、2000:p185、186]。つまり、「早すぎる埋葬」への恐怖があり、それが吸血鬼信仰と重なったということでしょう。

 

それではどのようにして、吸血鬼信仰が西欧へと流布したのでしょうか。

平賀[2000:p189]によると、西欧がバルカンに接触するには、3つのルートがあったそうです。

 

 ひとつは、バルカン半島からオーストリアを通って、情報や風聞が運ばれるメインルート。ふたつめは、バイロン・ルート。18世紀のイギリス貴族の子弟は、「グランドツアー」と呼ばれる欧州巡遊修学旅行に出る習慣があり、後にギリシアを訪れることが多くなったそうです。そのなかでも、有名な人物にバイロンがいたそうで、そこから平賀は名付けたそうです。みっつめは、スロベニアとクロアチアの一部がまとめられたイリリア属州だそうです。そのようなルートにおいて、吸血鬼が伝えられ、小説化され、吸血鬼文学が成立したそうです。

 

おわりに

いやー、雑学になりました。

ただの自己満足です(笑)。

ハロウィンが……終わる前に、この記事を書いておけばよかったと軽く後悔しています(吸血鬼の仮装した人はいたのでしょうか?)。

 

参考文献

  • 栗原成郎、1980、『スラヴ吸血鬼伝説孝』、河出書房新社
  • 栗原成郎、2002、『ロシア異界幻想』、岩波新書
  • 谷口幸男、遠藤紀勝、1998、『図説 ヨーロッパの祭り』、河出書房新社
  • 平賀英一郎、2000、『吸血鬼伝承ー「生ける死体」の民族学』、中公新書

 

 

 

 

 

 

*1:1月6日、エピファニー、「キリストの降誕を聞いた当方の三人の賢者カスパール、メルヒオール、バルタザールが星に導かれてベツレヘムの馬小屋を訪れた日」のこと[谷口、1998:p107]。

*2:「謝肉祭後の灰の木曜日から、復活祭前日の土曜日までの四十日間。3世紀以来、信徒は日曜日以外、肉食を慎み断食の苦行をする大斎の期間」のこと[谷口、1998:p107]。

*3:家は宇宙をモデルとし、家の構造は宇宙の構造との類推において考えらていたそうです。そして、ロシア人の神話的思考において、家と人間は同一視されたそうです。なぜならば、民衆の観念において、人の一生の発達段階は家の生命の推移段階と一致し、人の寿命も家の寿命もはぼ同じ時間の枠の中にあると考えられていたからだそうです[栗原、2002:p69、70]。つまり、家という自世界に妖精キキーモラという他世界(異世界)が介入することを意味していたので、死の概念と密接な関係にあったということでしょうか。

*4:ポーランド・リトアニアとの戦争のことでしょうか?

*5:興味深いことに、平賀は「吸血鬼」をペストの擬人化とすることは出来ないと述べています。理由として、「ペスト病魔はふつう白衣の女、髪を振り乱した老婆と考えられていた」からだそうです[平賀、2002:p181]。なるほど、対立点は分かりました。しかし、自己満足なので、これ以上深入りしません。