迷走ブログ

ファウスト的衝動を抱き、迷走している、凡人による気まぐれブログです。

【読書感想】重い腰を上げて、文化人類学の古典的名著であるJ.G.フレイザー『金枝篇』を読んだ感想。

はじめに

今回は文化人類学の古典的名著であるG.J.フレイザーの『金枝篇』の感想を書きます。

『金枝篇』という本を読むことで、知見を広げたく手に取りました。

 

こんな人におすすめ

  • これから文化人類学・宗教学を学びたいと考えている学生
  • 宗教・慣習の類型を知りたい人
  • 呪術や儀礼の歴史に興味がある人

この本の目的

この本の目的は、ミネ湖北岸の古代の森で、ダイアナ(ディアーナ)の祭司がいかにして継承されてきたのかを解明することです。ミネの聖所には、折ってはならない金枝の木があるが、逃亡奴隷だけがその一本の枝を折ることが許されていたそうです。もし逃亡奴隷が折ることに成功すれば、祭司と闘う権利が与えられ、そして勝利すれば(殺せば)、「森の王」と呼ばれ、支配権を握ったそうです。

 

上記のように、堅苦しくまとめてしまいましたが、もっとわかりやすく表現できないものか。

 

ということで、『金枝篇』は何を述べているのかというと、とある地域に特有の文化に着目して、その文化で行われている慣習の意図をあれやこれやの書物を紐解いて、考察しているということです。

 

個人的な評価

素晴らしい本だと思います。

 

感想的なもの

文化人類学とは何ぞや

そもそも、文化人類学とは何か、ということです。

文化人類学(ぶんかじんるいがく)は、人間の生活様式全体(生活や活動)の具体的なありかたを研究する人類学の一分野である

文化人類学 - Wikipedia

 

人間の生活に根差した文化的な背景を研究するような学問であるというようなニュアンスでしょうか。そこら辺の細かい定義は学者になるわけではないので、一旦はこのようなおおざっぱな認識でよしとします(笑)。

 

フレイザーは安楽椅子探偵?フィールドワーク(実地調査)を行っていない

フレイザーはフィールドワークをおこなっていないとのことです。

 

そのため、この本で取り上げている事例はすべて文献資料からの考察となるようです。まるで推理小説で言うところの安楽椅子探偵のようですね……

 

生のデータを自ら集めているわけではないにしても、文献資料から一つ一つの慣習の意義や背景を紐解いていく論展開は、やはりものすごい推理力と論理力の持ち主であると感服しました。

 

儀礼の意味とかその存在背景はものすごく深い

フレイザーは、儀礼的に殺される祭司について、古代的な王権の原型と見なして、呪術的世界に共通することであると考えています。そこから、世界の樹木崇拝、魂、豊穣信仰、トーテミズム、タブー、スケープゴートを考察しています。博識すぎて憧れる(笑)。

 

なかでもおもしろいと感じたトピックは、神殺しの風習についてです。

農耕社会になると、神に見立てたパンを食べたり、神と同一な存在とみなすある特定の人物や動物を殺すという風習があったそうです。

 

これらの神殺しを行う風習の背景には、以下の意図を持つとフレイザーは述べています。

 

蛮人は一般に、動物か人間の肉を食べることによって、その動物もしくは人間に備わっている性質、肉体的性質に留まらず道徳的なおよび知的性質をも獲得する、と信じているのである。[フレイザー,2003,『金枝篇 (下)』,p.100,ちくま学芸文庫]

 

確かに、人間は栄養を日々食べ物等から摂取して生活していることからも、そのような妄想?というか理論を古代の方々が考えたのも少しは納得できました。

 

個に特有の性質とでも表現すればよいのかわかりませんが、動植物の一部を食したからと言って、その動植物固有の性質を獲得できるのだったら、チートもいいところですよね(笑)。ある意味では、中二病的な思考とでも表現できるのではないでしょうか。

 

おわりに

呪術から宗教への形態の変化というか変遷の過程があるということをはじめて知りました。どちらも超自然的な力を信じているからこそ、あまり違いとかないのかなと思っていたのですが、どうやらそのような単純なものではないらしい。

 

学問的にいろいろ批判があるそうですが、不勉強のため批判はできません。僕にとっては好奇心を満足させた本であり、気に入りました。